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かわさきマイスター紹介

石工・石積み  佐藤 武(さとう たけし)さん

提供:川崎市
佐藤さんは重い間知石(けんちいし)を軽々と扱い、玄能一丁で石を切り(割り)、荷重が分散するように互いに噛み合わせて積み上げていく古来の「玄能合羽積み(げんのうあいばづみ)」「谷積み」に熟練の技を発揮します。手づくりが醸しだす石積みの独特の風合いは、自然や景観を保護し、潤いと安らぎのまちづくりには欠かせません。石積みの基礎技能としても貴重です。現在、歴史的な石積みの保存活動にも力を入れています。
プロフィール
佐藤 武(さとう たけし)さん

秋田県生まれ。16年、14歳で玉石積み職人に弟子入りし、石工としての基礎を積む。20年、4年間の修業年限を修了し、今度は「間知石」を専門に扱う新しい親方に師事。34年伊勢湾台風災害の復旧工事に従事するなどして、42年川崎市に転居。平成9年度、第1回かわさきマイスター認定。平成11年「石垣を積む」出版。

佐藤さんについて教えてください

始めるきっかけは何でしたか?

14歳ごろでしたか、中学を出て仕事もないのでぶらぶらしていたら、ある日、土木の仕事をしていた親父のところに弁当を届ける用事を母親から言いつけられ持っていくと、たまたまそこに、石屋が来ていたのです。親父と同じ現場で玉石積みの作業をしていました。弁当運びのついでに私もそこで1週間ほど手伝いをしていたら、その親方が急に「石屋にならないか」と言ったんです。当時、石屋の日給は15円で、親父は5円でしたから3倍です。これはいいやと思わず話しに乗ってしまいました。石工の仕事は1年中、丸々365日あるわけではないので、日当が高いのは当然でした。私にとって最初の就職口です。そして、見習いだから日給は1円、4年契約で18歳まで続けました。徒弟制度によくある住み込みではなく、自宅からの通いで玉石積みをみっちりと覚えました。19歳になって今度は別の師匠につき間知石の積み方をマスターしました。父が土木の仕事、母の実家も土木請負業でしたから、石工になったのは宿命かも知れません。

やっていて1番面白いと感じることは何ですか?

石積みには古来いろいろな工法があって、それが時代、時代、あるいは土地によって変化し特徴を備えていく歴史があります。そうしたルーツを探り、自分自身の技量を高める糧にしていくのが面白いですね。私が今もっている石積みの技は師事した親方や先輩たちから学んだものですが、古の先人たちの知恵を学ぶことも楽しいものです。コンクリートブロックの普及で、自然石を使った石積み工事が減ってきているという寂しい現実はありますが、玄能一丁、まだまだ現役石工として伝統的な石垣づくりに挑戦できることがうれしいです。

長年、継続して技能研鑽に努めることが出来たのはなぜですか?

最初に話したように、私が石工になったのは親父と同じ仕事場に、たまたま石屋がいたというめぐり合わせからです。親父も職人ですから、仕事は盗んで覚えろとよく言っていましたが、最初についた親方は、玉石積みの専門家でしたが直接手をとって教えてはくれませんでした。最初の頃はただ親方の後にくっついていって、自分で見て覚えるしかなかったのです。2人目の師匠は当時、秋田県内でも1、2を競うと言われた、こちらは
間知石の専門家で、その時も私はただ親方の後について現場で仕事を覚えるだけでした。
2人の師匠につき玉石と間知石の両方を覚えたものの、本当に人に負けないと自分自身思えるようになったのは26歳の時でした。もともと才能がなかったのか、覚えが悪いのか、自分の技量を自覚できるようになったのがうんと遅かったのです。ただ、努力だけはしたつもりで、それが遅ればせながらも、だんだん報われてきたのではないでしょうか。川崎に来たのも、偶然、宅地造成の仕事を紹介されたのがきっかけでしたが、こちらは幸い1年中平均して仕事が続き、技量を磨くのにプラスしたのだと思います。秋田で40年、川崎で40数年と、人生の半分づつ過ごしたことになり、石工の仕事を通し、ふるさとが2つできました。

苦労したことはありますか?

秋田は雪が降る季節は仕事ができないので、26歳になったその年の冬、三重県四日市へ出稼ぎに行ったのです。西山組という石屋に世話になって、それから10年間、毎年冬場はそこで川の護岸工事などの仕事をしました。三重県では海岸の工事もあり、川と海両方の護岸工事を経験することができました。もっとも、こっちは秋田弁、向こうは関西弁と、言葉のやり取りで一苦労しましたがね。海の工事は干潮時に行ないますから、それが夜間になると寒くてつらかったですね。洪水から護岸を守るため大雨の中、命がけで補修工事にあたったこともあります。
出稼ぎに行っている昭和34年9月に紀伊半島・中部地方を襲った伊勢湾台風の時、せっかくこしらえた川の護岸が台無しになり、手がけた工事が跡形もなく消え去ってしまっていたのを見た時は悲しかったですね。復旧工事で仕事はありましたが驚いたことに、山から持ってきた間知石ではなくコンクリートを型に流して固めたブロックを積んでいました。そう、コンクリートブロックが登場したのは、この伊勢湾台風がきっかけだったのです。びっくりしましたね。石積みの代替品として、あっという間に広がりましたが、これで石屋の仕事は終わりだと思いましたよ。川崎に来た時にはもう、相模原にブロック工場ができていましたね。

自分が誇れる、自信のある卓越した技能を教えてください

石積みには古来伝わる「玄能会羽積み」という技法がありますが、私は玄能一本で間知石を的確に叩き切ることができます。玄能は大型の金槌で、私は「石を切る包丁」と言っています。石垣や土留めに用いる間知石を包丁で切るように真っ直ぐに切り取って積み上げていく、この玄能積みの技能は19歳で2人目の師匠についた時に身に付けたものです。石はたたくものではなく、切るものだという石積みの真髄を悟ったのはその頃ですね。玉石のほうはさっき話したように、最初についた親方の技を見よう見真似で覚え、17歳の時にほぼマスターできました。三重県に出稼ぎに行っている時、地元で一番といわれた石工と腕前を競ったこともあります。

ものづくりについて教えてください

ものづくりの魅力を教えてください

日本の伝統的建築物の姿を残す神社やお寺まで、今はブロック積みが幅をきかす時代です。石垣や石塀で囲まれた、界隈のあの懐かしい石積み風景はどこへ消えてしまったのでしょうか。かな槌を振るって1個1個のかたちを整え、石工が魂を込めて積み重ねた石垣は、ものづくりそのものです。かな槌1本、それ以外に石工は余計な道具は使いません。先人の技を受け継ぎ、また新しい工法を生み出しながら、自然の道理・力学に従って、何十年、何百年も持つ強固な建造物を造り上げます。皇居の二重橋をはじめ、各地に点在する歴史的な石造りの橋を見たり城の石垣等を見て感動しない日本人はいないと思います。これがものづくりの魅力でなければ、ほかに何があるのでしょうか。

かわさきマスターに認定されて良かった点を教えて下さい

いい制度だと思います。働く人の励みになるし、後からマイスターになる人の仕事を知ることができて面白いし、自分自身の幅も広がっていきます。私は制度ができて第1回目の認定者の1人ですが、当時一緒にいただいた5人で友の会をつくったこともありました。

後継者を育成するため、何に取り組まれていらっしゃいますか?

いろいろ考えてはいますが、残念ながら石工の仕事は、いま成り手がいません。重労働で徒弟期間が3~4年もあり、若い人は辛抱ができず、ついてきませんね。これでは駄目だとマイスターに認定された3年後の平成11年に「石垣を積む」という本を出しました。それまで日記などに書き溜めてきた石積みの技法や仕事内容をテキスト風にまとめたものです。「この本を読んで、石積み工を目指す若い人が現れればいいんだが」という思いがありました。全国500以上の図書館に寄贈しましたが、北九州の専門学校の先生から「石工科に生徒が18人いて、その教科書にしたいから送ってほしい」と連絡があり、教師の分を含め20冊送ったことがあります。ほかにも宮崎県の職業訓練所から教師用に3冊送ってくれとか、図書館で見たから…という問い合わせはたくさんあり、結構反響はありました。
ブロック積みが登場するなど、石積みの工法や材料は時代ごとに変わっていき、工事の注文そのものも減っていますから、せめて本でも残して伝統を伝えていきたいという気持ちが実ったようで出版直後はうれしかったですね。ところがその後は、技術そのものは半永久的でも、それを引き継ぐ人材がいないという現実にぶつかり、さびしい限りです。秋田にいた頃は、まだ弟子入りしたいという人は結構いたんですがね…。

これから「ものづくり」を目指す方たちへアドバイスをお願いします

14歳で石工になって70年、まだ現役でがんばっていられるのは、石を積み上げる魅力そのものから逃れることができないからでしょう。これまで私は、ものづくりを意識してやってきたわけではなく、玄能積み、谷積み、布積み、穴生積み(あのうづみ)など様々な技法を覚え、何十年も何百年も存えてほしいと石垣を造り上げてきました。それが結果的にものづくりになっていたということです。ものづくりというのは、勢い込んだものではなく、ちょうど石積みの石のように、一つひとつの積み重ねだという素朴な原点を、若い人たちは知ってほしいですね。

最後にこれからの活動について教えてください

3年前から「大磯の景観を愛する会」の石垣積みの講師をしています。湘南地方には台地が多く、玄能合羽積みなど歴史的な石積みがたくさん残っています。明治、大正以前にも造られたものかと思いますが、山からとってきた砂岩であるため風化して崩れやすく、保存活動が必要です。また、かつて別荘地だった大磯には立派な自然石を使った石垣が多く残され、私は石工として、これまで培ってきて石積みの技術や知識を、貴重な文化遺産の保存に役立ててもらいたいと考え、その活動に協力しています。会が催す「石垣めぐり」に同行し、解説・案内役を務めています。この会の人も、私が書いた本を読んで声を掛けてきたのです。

ありがとうございました。
佐藤さんの秋田弁はいまだに健在。インタビュー中、早口で話す言葉についていけない場面もしばしばありましたが、熱のこもった口調の中に、純朴な人柄と職人としての信念、たくましさを十分感じ取ることができました。“文化遺産”とも言える佐藤さんの技が、次世代に引き継がれることを願いました。
【問合せ先】  
佐藤 武
平成26年10月逝去されました